阪神淡路大震災から28年

こんにちは 六ヶ所の嫁です。

1月17日が過ぎましたね。
阪神淡路大震災から28年です。
たくさんの命が奪われました。ご冥福をお祈り申し上げます。

もうそんなになるのか~…

昨日のことのよう…とは言わないですが。
やはりあの衝撃は忘れることはできないですね。

地震の揺れ、余震、それからテレビに映る崩壊した街の姿
阪神高速の映像

どれもこれも、恐怖でしかなかったな。

東大阪で産まれ、東大阪で暮らしていた私、鈍感な私。
それまでの人生(確か当時は23歳)で地震って感じたことがなかったんです。
地震がなかったわけじゃないですよ。
せいぜい震度1とか2とかなんやろうけど、周りの人が気づいても
え??揺れてる??ホンマに????って。

そのうえ、自慢じゃないですが、朝は起きれない。
良く寝るタイプの人なんですよ。

その私が、あの時間。
さすがに飛び起きました。
ドンって突き上げるあの感じ。
ん?と思ったらすぐに大きな横揺れ。
木造の我が家から聞こえるミシミシという鈍い音と
ブンブン強烈に振り回されるような揺れ。

もうホンマに「しずまれーしずまれー」って布団に潜り込んでました。

怖かった…

あの晩、それまでと違う場所で寝たんです。
その当時、私はベッドを使っていなくて、布団を敷いて寝ていたので、
その晩はなぜか、あ、こっち側で寝てもいいななんて。
それまでずっと寝ていた場所と違う場所に布団を敷いて寝たんです。

翌朝、ドンのあとの大きな横揺れで、当時のブラウン管テレビ(超デカくて重いやつ)が
前日まで寝ていたちょうど頭のあたりに落ちました。

虫の知らせってあるんやな。
私は生かされてるなと感じました。

この当時は、まだインターネットとかSNSとかなかったので
情報はテレビやラジオが主流で。
当日、怖いながらも真面目に会社に行ったな~…
バイク通勤やったから何も問題なかったからね。
そして、昼になり、夕方になり、翌日になり。
死者数がどんどん増え、被害の大きさがわかり
兵庫に住む友達の安否が不安で仕方なかった…

地震を知らなかった私が、それから何度も何度も夢を見た。
家にいて、会社にいて 大きな地震にあう。
机の下に潜り込んだら 大きな揺れで何故か宇宙に放り出される。
うわ~~~って落ちていくような感覚。
大きなビルにいてビルが倒れていく、そんな夢を何度も見て、
こんな恐怖を現実にたくさんの人が経験したのかと思うと、
いたたまれない気持ちになったのを覚えています。

とにかく、何度も夢を見たし少しの余震にも敏感になった。
この地震は、忘れることは出来ない。

生かされた命を大事に生きて行こうと思ったな~

そして、5年後。
私はまたもや大きな地震に遭遇する。
鳥取県西部地震。
当時、生まれ育った大阪を離れ、母方の祖父部のいる
米子に住んでいた私。

お昼ご飯を食べてホッとしたころ、大きく揺れた。

叔父の趣味で部屋にたくさん飾ってあった額に入った大きな写真が
ガシャンガシャン音をたてて揺れて怖かった。
おばあちゃんは大丈夫か?と慌てて探したら、
裸足で庭に飛び出していた笑

この時も何度も余震があり。
そのたび、額が大きな音を立てて揺れるので怖くて。

おばあちゃんと二人、車に乗って気を紛らわせに出たのを覚えてる。

何でも忘れっぽい私でも。
地震の恐怖は覚えてる。
忘れられない。

 

自然の力は恐ろしい。
「南海トラフ」とかホンマに起こるんやろうか?
自分の身を守るそんな行動をとりましょうね。

人間には学習能力があるから。
過去の教訓や教えを生かしていきましょう♪

今を生きる命を大切に。
自分の命も大事な人の命も奪われたくないですね。

 

 

 

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