「城北公園通駅」から「大阪工業大学」へ
与謝蕪村誕生の地と柱に刻まれている「城北公園通駅」から、はじめて徒歩で大阪工業大学を目指しました!
当社の最寄駅「JR長瀬駅」と同じ、おおさか東線なので乗り換えナシ!これが何よりスムーズで良いところです。
しかし・・・なかなか徒歩20分は長い。
昼間のこの時期の日差しは応えるので、そう感じるのかもしれません。確かに汗はかきましたが、健全な仕事は健全な身体から、歩くことは健康にも繋がるのも良いところです。
歩きながら、ふと”与謝蕪村の誕生の地”このキーワードが気になったので検索してみたのですが、この話題は・・・後程。
はい、皆川先生にお世話になって3年目となりました。
いつみても立派な建物、大工大へ到着しました。
特に昼間は、学生の方々がお昼休憩や授業を受けたり移動したり、活発に活動しています。
本題の学術指導を受けた内容は、今回はまさにこれまでの集大成!
そんなポイントとなりるテーマに突入しています。皆川先生の後押しの元、少しずつではありますが「本当に自分がしたいこと」をもう一度見直し、一歩一歩前へ進みます。
兎に角、実行するのみです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%8E%E5%8C%97%E5%85%AC%E5%9C%92%E9%80%9A%E9%A7%85
(ウィキペディア 城北公園通駅 より引用)
さて、与謝蕪村の話題の続きです。
ご存知の方のいらっしゃるかもしれませんが、誕生の地は都島区。城北公園通駅があるのは、旭区。大工大も旭区にあります。・・・?!
簡略させていただきますと、城北公園通駅の建設中の仮称は、都島駅だったそうで、それが決起集会で城北公園通駅に決まったそうです。
都島区側にも配慮する形で、都島区側の出口には「蕪村口」、駅スタンプや柱には「蕪村誕生の地」ときざまれることになり、駅構内に蕪村像も設置されることとなったそうです。
今日のレーザー溶接職人
ここで一句・・・
与謝蕪村の話題の延長で、読み上げたいのですがキャパシティーが足りません。
嗚呼、情けない。いつか必ず・・・