アテネが亡くなって1ヶ月…

こんにちは 六ヶ所の嫁です。

アテネの月命日です。

アテネが亡くなって1ヶ月です。
早いな~… もう1ヶ月たったのか~

いまだに我が家はアテネの物で、溢れています。
アテネのハウスもアテネが使った布も、薬もフードも器も・・・

家を建てるとき、キッチンから外を眺めたくて、裏口にあたる扉を付けたんですが、結局、そこはアテネの出入り口になり、ガレージでアテネのお世話をして、アテネが過ごす場所でした。
いつもアテネがいたガレージにもアテネのために使っていたものが溢れていて、改めてビックリします。
我が家には、いつの間にか当たり前なんやろうけど、アテネの為のものがいっぱいで。ガレージそのものが、アテネがいてこそのガレージになっていて。
今はアテネがいないガレージが空っぽに感じて。毎日毎日、朝と晩。アテネが出たいといえば外に出し、入りたいといえば家に入れ、していた裏口も。
すべてがアテネがいなくなった今、なんだか空っぽに感じてしまいます。
いつも見ていた裏口を出てガレージからの景色も、アテネがいなくなるとゴミを出したりするときしか見なくなったりで。
ガレージに出ると、あまり変わらない景色なのに、肝心なアテネがいなくなったことを実感する。

でも、アテネの物を片付ける勇気が出ない…
もう使うことのないハウス…

いつになったら、処分する気になるんやろう。

覚悟を決めて、アテネの物を処分したとして。
そこにアテネがいた跡形がなくなってしまうのが怖い…

なんて、未練がましいんやろう…
なんだかイヤになる…

話ちょっと変わりますが、私の母、4年前に亡くなりました。
「悪性リンパ腫」と診断されて1年と3カ月後だったかな~。

あの時は、本当に色々考えた時期でした。

なんかすごい存在感のある大きな母親でしたので(”◇”)ゞ
特にあの頃は、まだまだ子供たちに手がかかる時期で、母のサポートなしでは過ごせないくらい本当に大変で。
もともと、母に頼りまくっていた私でしたので、母が亡くなるということが信じられなくて。
どこかでスーパーマンのように思っている感覚があるような。

でも、もしかして、亡くなるのかもしれないと冷静に自覚した時、自分も母親であるし、崩れてしまうわけにも行かないので。
なんていうか、心の準備をしっかりしたというのか、「母親の死」をどういうふうに受け止めたらいいのかを本当に考えました。

そうしないと、自分がどうなるんだろうっていう不安に襲われていたような気がします。

命は永遠ではないと言い聞かせました。
いつまで生きたら、「母の死」に納得が行くのか?自分に問いかけていました。

答えは出たのか出ていないのか…それでも、その時間があったことに感謝します。
それが、なかったら本当につらい…
突然亡くなる命がどれだけつらいのか、本当に想像がつきません。

そんな時間が私を癒し、母親としても人としても強くしてくれたように感じます。

それから、4年。今度は、アテネの死。
もちろん「母」とは違うけど、私にとっては大切な「家族」で、13年半ともに過ごした1番上の子供のような存在。
それでも、私達より先に亡くなることは分かっていた事実。

だから、私は今回はそんなに取り乱すことなく迎えることが出来ると確信していました。
そして、そう出来ていると思っています。

・・・

それでも、人の心は頭の理解とは別に・・・ 寂しいと訴えるもんなんですねえ。

有難いことに止まってる暇は余りないので、バタバタと時間をこなして過ぎていきますが、それでもふとした瞬間にアテネを思って立ち止まってしまっている私がいます。
アテネの臭いがだんだんしなくなって、アテネを触るあの感覚がわからなくなって、寂しい…

生きているうちに、出来る限りのことを本当にしてあげることが出来たのか?
もっとあ~すればこうすれば…と亡くなってから後悔しても遅いのに、そんな思いを巡らせてしまう。

生きているって本当にありがたいことですね。
日々の生活にイライラしたり、思い通りにならないことに腹がたったりしますが、まずは今生きていること、そして家族みな元気に過ごしていることに感謝をしたいな~と思う今日この頃なのでした。

アテネ~大好きだよ~

今年の初日の出 大島にて

 

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